ミニマリスト老子

老子8章:上善は水のごとし。水のように生きるのが理想的。

老子8章 上善如水

ワンルーム暮らしミニマリストブロガーのまさすみです。

前回は老子第7章を紹介しました。↓
https://otukisama.com/laozi-7

今回は、第8章。
老子の有名な言葉、「上善は水のごとし」の話です。
お酒が好きな人であれば、日本酒の「上善如水」が思い浮かぶかもしれませんね。

字を見れば何となく意味が分かる様な気もしますが、深い洞察力を持つ老子は、水を例えにして何が言いたかったのでしょう?

それでは、ご覧ください。

老子 第8章の原文

上善若水。
水善利萬物而不爭、處衆人之所惡。
故幾於道。
居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。
夫唯不爭、故無尤。

8章の訳・私の解釈

水のように生きるのが理想的だ。
水はすべてのものに恵みを与え、争うことをせず、人々が嫌がる汚い場所や低い場所に流れていく。
だから、水はタオに似ている。

腰は低く、心は深く広く静かに、
人には優しく接し、言葉にはウソがなく、正しいことをし、
仕事は自分に合うものを選び、行動はタイミングを見計らうのが善い。

水のように争うことをしなければ、非難されることはない。

解説・私の思うこと

「上善若水。」
「水善利萬物而不爭、處衆人之所惡。」
「故幾於道。」

訳:水のように生きるのが理想的だ。
水はすべてのものに恵みを与え、争うことをせず、人々が嫌がる汚い場所や低い場所に流れていく。
だから、水はタオに似ている。

老子は「水」も例えに使うことが多く、水の性質を通してタオの説明をしてくれます。

人の役に立ち、争わず、人の嫌がることを率先してできる人は尊敬に値します。
逆に、自分自分と主張し、争い、嫌なことを押し付ける人は倦厭されますね。

「居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。」

訳:腰は低く、心は深く広く静かに、
人には優しく接し、言葉にはウソがなく、正しいことをし、
仕事は自分に合うものを選び、行動はタイミングを見計らうのが善い。

これは今の時代でもそのまま合致します。
全部その通りだな~と思う中で、私が特に印象的なのは「居善地」の句。

直訳に近い訳であれば、「地面(に近いところ)に住み(居り)」のような感じになりますが、水の性質を人に例えているとすれば、水が低いところに流れていくように、「人は偉そうにせず、腰を低く」と私は解釈します。

また、直訳の通りだとすると、もしかしたら当時の権力者への皮肉が入っているのではないかと感じます。
力を持った人間は高いところに住みたがります。
君主が高いところに住んでいては、民の生活を理解することは難しいでしょう。

景色を楽しむのはいいことですが、「優越感」や「支配感」の表れであるとするならば、水の性質からはかけ離れますね。

私ごとですが、20代後半にある会社の役員をしていた時、横浜のみなとみらい周辺が一望できる高層マンションの社宅に住んでいたことがあります。
その時はお恥ずかしい限りですが、確かに優越感を感じていました。

しかし、住んでいるうちに景色はただの風景になって、何の価値も感じなくなりました。
こんなものは本当の豊かさではないと、その時に気づかせてもらいました。
たまに「きれいだな~」と見るくらいが丁度いいのだと思います。

物質的な豊かさでは、人の心は満たされないと感じ始めた頃でした。

「夫唯不爭、故無尤。」

訳:水のように争うことをしなければ、非難されることはない。

争わないから、自分の身が危険にさらされることもなく、余計なストレスも抱えないのですね。

争わない=負けることもなく、また、勝つ必要もないのです。
結局、安全に暮らす人が最後まで生き残り、敵を作らないことが最高の防御策とも言えますね。

あとがき

いかがでしょうか?

老子の時代から2千年以上経った現代でも争いは絶えません。
そんな中、最後まで負けることがないのは、争わない平和主義なんですね。

別の章では、「武器は持っていても使わない」という内容が出てきます。
防衛策は持ちつつも、決して仕掛けない。

日本の状況に似ていますね。
日本には平和主義で世界を平和に導く力があるのではないかと思います。

個人レベルの小さなことで言えば、水が障害物にあたって流れを変え進んでいくように、普段の生活でイラッとすることをスルーできるようになりたいものです。

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