ミニマリスト老子

老子7章:成そうとしないから、成される。

老子7章

ワンルーム暮らしミニマリストブロガーのまさすみです。

前回は老子第6章を紹介しました。↓
https://otukisama.com/laozi-6

今回は、第7章。
老子は世界の永続性を例に用いて、逆説的に人としての生き方を教えてくれます。

それでは、ご覧ください。

老子 第7章の原文

天長地久。
天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。
是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。
非以其無私耶、故能成其私。

7章の訳・私の解釈

世界(宇宙)は永遠に続いている。
それは世界が自分のために存在しようとしていないからであり、それが長く続く理由である。

同じようにタオを知る人は、自分のことを後回しにするから、結果的に人々の見本となり、
自分のことを世間の外に置くから、結果的に人々に存在を認められる。

これは「自分」という考えがないからではないか?
だから、自分のことも自然と成されていくのである。

解説・私の思うこと

「天長地久。」
「天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。」

訳:世界(宇宙)は永遠に続いている。
それは世界が自分のために存在しようとしていないからであり、それが長く続く理由である。

以前の章でも出てきたように世界(地球・宇宙)は、ただ存在しています。
当たり前ですが、地球に住んでいる人間に対して「住まわせてやってるんだから」のように見返りを求めません。

大昔の人々は様々な信仰からもわかるように、自然への感謝が今よりもずっとあったとされます。
見返りを求めることもなく、多くの恵みを人間に与えてくれる自然を大切にしていたのです。

日頃忘れがちですが、本来ならば私たちは地球に住めることにもっと感謝して、自然を大切にしなくてはいけませんね。

「是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。」

訳:同じようにタオを知る人は、自分のことを後回しにするから、結果的に人々の見本となり、
自分のことを世間の外に置くから、結果的に人々に存在を認められる。

これは、普段の生活の中でも、該当することがありますよね。

他人を差し置いて自己中心的に自分のことを最優先にする人は、周りの人から嫌われて、結局、損をすることになります。
逆に謙虚な人ほど、人から信頼されたり愛されます。

場合によっては謙虚にしているからこそ、「お先にどうぞ」なんてこともあるわけです。
ただし、これが意図的なものであってはいけません。
「無為」「無私」の心が大事なんですね。

「非以其無私耶、故能成其私。」

訳:これは「自分」という考えがないからではないか?
だから、自分のことも自然と成されていくのである。

タオを知る人は、何かと何かを比較して解釈するということがないので、他人と自分との境目もないのでしょう。
だからこそ、他人のことも自分のことのように大切にするのです。

見返りを求めず、他人のためにやっているという感覚もなく、自然とやっている行動が結果的に誰かのためになっているだけなんですね。

その結果、感謝した人が心からのお返しをしてくれたり、気にかけてくれることで、自分自身のことも成されるということを老子は言っているのだと思います。

あとがき

いかがでしょうか?

今までの章に比べて、老子が言わんとしていることは分かりやすいですね。
実際に社会や生活の中で見られるようなことですし、理解はできます。

自分のこと以上に他人のことを大切にする人は、自分も大切にされます。
ただ、損得勘定なしに他人に愛を持って接するということは、なかなか難しいものです。

もし、自分に対して愛を持って接してくれる人がいれば、やはりその人に対して、何かお返しをしたくなります。
そういう連鎖で社会が成り立つのが理想的ですね。

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