ミニマリスト老子

老子13章:周りからの評価を気にしない人が信頼できる人

老子13章

ワンルーム暮らしミニマリストブロガーのまさすみです。

前回は老子第12章を紹介しました。↓
https://otukisama.com/laozi-12

今回は、第13章。

この章では、周りや他人からの評価について老子が語っています。

人からの評価を気にしないというのは難しいものです。
でも、あなたの周りにも良い意味で、評価を気にせず、自分らしく生きている人がいると思います。

そういう人たちはどのような影響力をもたらすのでしょう。

それでは、ご覧ください。

老子 第13章の原文

寵辱若驚。
貴大患若身。
何謂寵辱若驚。
寵爲上、辱爲下。
得之若驚、失之若驚。
是謂寵辱若驚。
何謂貴大患若身。
吾所以有大患者、爲吾有身。
及吾無身、吾有何患。
故貴以身為天下、若可寄天下。
愛以身為天下、若可託天下。

13章の訳・私の解釈

人は褒められたり、非難されることに一喜一憂する。
周りからの評価を自分自身の価値のように心配している。

なぜ、評価に振り回されるのか。
人は称賛を良い事、非難を悪い事とする。
得ても失っても心がさわぐ。
これが一喜一憂する理由である。

なぜ、心配事を死ぬほど気にするのか。
心配事がある原因は、執着があるからだ。
「私」という執着がなければ、何の悩みがあろうか。

だから我が身のように世の中のことを大切に思う人こそ、世の中に貢献できる。
自分のことのように世の中のことを愛おしむ人に世の中を任せることができる。

解説・私の思うこと

「寵辱若驚。」
「貴大患若身。」

訳:人は褒められたり、非難されることに一喜一憂する。
周りからの評価を自分自身の価値のように心配している。

私たちは日頃、周りの目を気にして生きています。
他人からの評価がまるで自分自身であると錯覚していることが、満たされなさや欠如感の原因なのかもしれません。

「貴大患若身」の部分を直訳してみます。
貴:大切にする。
大患:災い、災難、心配ごと。
若身:身のごとく=体と同じように。

続けると、「心配ごとを体と同じくらい大切にする」になります。

これだとまだわかりづらいので前の句と合わせて、ゆる~く意訳すると、
「人からの評価を死ぬほど気にする」という感じでしょうか。
どこかで聞いたことがあるようなしっくりくる表現になります。

確かに人は悪いレッテルを貼られることを命を奪われるくらいに恐れているかもしれません。

「何謂寵辱若驚。」
「寵爲上、辱爲下。」
「得之若驚、失之若驚。」
「是謂寵辱若驚。」

訳:なぜ、評価に振り回されるのか。
人は称賛を良い事、非難を悪い事とする。
得ても失っても心がさわぐ。
これが一喜一憂する理由である。

競争社会では人より良い点を取ったり、人より上に行くことを良い事として教えられます。
大人の社会では、それが待遇や給料にも反映されるわけです。
立場が上がれば大喜びし、下がれば落胆するのは当然と言えば当然。

私たちは物事を判断したり、解釈するときに何かと何かを比較して見ています。
多くの悩みの原因は、他人や現状との比較から生まれると言います。

「どちらでも問題ない」「あるがまま受け入れる」という心構えでいられるのであれば、いつも平常心でいられるのでしょう。

「何謂貴大患若身。」
「吾所以有大患者、爲吾有身。」
「及吾無身、吾有何患。」

訳:なぜ、心配事を死ぬほど気にするのか。
心配事がある原因は、執着があるからだ。
「私」という執着がなければ、何の悩みがあろうか。

他人からの評価を自分のアイデンティティーにするから心配事が尽きません。
ちなみにアイデンティティーとは「自己同一性」です。

私たちのアイデンティティーは生まれてから死ぬまでに、まるで体にペタペタと貼られる「特徴を書いた付箋」のようなものと私はイメージしています。

「自分とはこういう人間である」と表現するための付箋がいっぱいくっついています。
名前から性別、人種、出身、容姿、家族関係、知人、学校、会社、性格など数え切れないほどの付箋です。

これらの自分を表す特徴をひとつ残らず、すべて剥がしていったときに自分のことを一体なんと表現すればよいのでしょう。

最後に残る確かなことは、「自分の存在を認識する、あるがままの自分がいる」ということだけです。

それ以外は全部あとから付けた要素で、少しでも良い特徴が書かれた付箋を貼ることに躍起になっているのですね。

身体が無いと思うことはできませんので、年齢を重ねるごとに虚栄心で貼っていた付箋を剥がしたり、逆に「悪い付箋を貼ってもいいよ~」くらいの気構えでいると、本来の自分らしさにたどり着くのだと思います。

「故貴以身為天下、若可寄天下。」
「愛以身為天下、若可託天下。」

訳:だから我が身のように世の中のことを大切に思う人こそ、世の中に貢献できる。
自分のことのように世の中のことを愛おしむ人に世の中を任せることができる。

最後は、老子の権力者への皮肉も入っているように感じます。

「自分の利益ばかりを考えているヤツには、政治や世の中のことを任せられない」といったところでしょうか。

周りの評価、見返りなどを気にせず、世のためになることをするのが本当の「貢献」なのですね。
今の政治を見てみますと、自分の立場や利益のことで頭がいっぱいの人がほとんど。
こういう人たちには世の中を託したいとは微塵も思えません。

私的な感情にとらわれないこと、私心や私欲がないことを「無私」と言います。
自分自身の損得や見返りを考えずに心から人のために何かできる人は、逆に多くの人から称賛されます。

このことは老子10章でも出てきました。

老子道徳経の中によく登場する言葉に「聖人」があります。
老子が言う聖人とは、タオを生きている人で、自分と他人との境目がありません。

「自分のことのように他人のことを思う」という表現がありますが、自分と他人との境目がないということを極限まで突き詰めると、ぐるっと一回転して「すべてが自分である」とも言えます。

トリックアートで片方の境界線を見ていたら、次の瞬間にもう片方の画像が見えるような感覚と似ているように私は感じます。
どちらも一体となって存在していて、全体になったり、一部になったりします。

あとがき

いかがでしょうか?

他人からの評価を気にしない生き方をしている人に憧れを感じることがあると思います。
もちろん、自分勝手に生きている人ではなく、自分らしく生きている人ですね。

「自分らしく生きる」という言葉をここ数年よく聞くようになりました。
そのように叫ばれるということは、今は自分らしく生きづらい世の中なのです。

不毛な競争や事件、病気を減らす方法の一つが、自分らしく生きるということではないでしょうか。

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