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老子11章:形ないモノの働き。「無用の用」の意味は?

老子11章 車輪 こしき

ワンルーム暮らしミニマリストブロガーのまさすみです。

前回は老子第10章を紹介しました。↓
https://otukisama.com/laozi-10

今回は、第11章。

「無用の用」という、ことわざをご存知ですか?
老荘思想が元になっていると言われています。

ことわざとして一般的に使われるのは、荘子の「役に立たないようなものが、実は役割を果たしている」です。

しかし、老子11章を見てみますと、上の意味とはニュアンスが違います。
それは、この章で「有」と「無」という字がセットでたくさん使われていることに関係しています。

老子が言う「無」のニュアンスは「無い」というより「空(くう)」です。
空は、「空っぽ」と同時に「空間」を表しています。

それでは、ご覧ください。

老子 第11章の原文

三十輻共一轂。
當其無、有車之用。
埏埴以爲器。
當其無、有器之用。
鑿戸牖以爲室。
當其無、有室之用。
故有之以爲利、無之以爲用。

11章の訳・私の解釈

車輪は轂(こしき)と三十の輻(ふく)で出来ている。
こしきの真ん中に何もないから、車輪としての働きがある。

粘土をこねて器を作る。
その中に何もないから、器としての働きがある。

扉や窓を作ることで部屋ができる。
その中に何もない空間があるから、部屋としての働きがある。

つまり、「有」が役立つのは「無」の働きがあるからだ。

解説・私の思うこと

「三十輻共一轂。」
「當其無、有車之用。」

訳:車輪は轂(こしき)と三十の輻(ふく)で出来ている。
こしきの真ん中に何もないから、車輪としての働きがある。

下の画像をみるとよくわかります↓
老子11章 車輪 こしき

車輪の中央の丸いパーツが「轂(こしき)」、放射状のパーツが「輻(ふく)」です。

こしきの穴に軸を通すことで車輪が回り、車輪としての本来の働きができます。
老子は真ん中の穴の空間に着眼しているのです。

車輪(形の「有る」もの)が役に立つのは、
穴(形の「無い」もの)の働きがあるからだと言っているのですね。

「埏埴以爲器。」
「當其無、有器之用。」

訳:粘土をこねて器を作る。
その中に何もないから、器としての働きがある。

ツボの構造は中が空っぽだからこそ、水を貯めることができます。
ツボを作る際に中に空洞を作らなければ、ツボの役割をはたせません。

「鑿戸牖以爲室。」
「當其無、有室之用。」

訳:扉や窓を作ることで部屋ができる。
その中に何もない空間があるから、部屋としての働きがある。

部屋の中に空間が無ければ、人が住むことができません。
空間があるからこそ、部屋として機能します。

足の踏み場もないほど部屋が散らかっている人は、空間の有効的な使い方ができていないわけです。

「故有之以爲利、無之以爲用。」

訳:つまり、「有」が役立つのは「無」の働きがあるからだ。

老子は前述の3つの例をあげて、無=空間の働きを表現しています。
そもそも地球や宇宙も含む、すべてのものが存在できるのは、その背景になる空間があるからです。

「有る」と「無い」は表裏一体になっているとも言えます。

また、心にも余裕(空間・スペース)が必要です。
心配事や嫌なことばかりを考えて心に余裕がなくなると、本来の心の機能が発揮しません。
やさしさ、愛情などの性善の部分であったり、良いアイデアを生んだりもできません。
場合によってはストレスで病気になります。

忙しい人もたまに心を空っぽにしたり、リフレッシュする時間は必要ですね。

あとがき

いかがでしょうか?

冒頭で述べたように「無用の用」のことわざの意味は、「役に立たないようなものが、実は役割がある」とされています。

しかし、老子11章の意味は似ていますが違うことを言っているように思いませんか?
老子はこの章のなかで「〇〇が役に立たない」とは一言も言っておらず、「空間」の話をしています。

たとえば、先ほど例で挙げた「モノで散らかっている部屋」に両者を照らし合わせてみましょう。

・老子:「モノで部屋が散らかっていると、本来の部屋(空間)の役割をはたせない」
・荘子:「無造作に散らかっているモノやゴミが役に立つこともある」

どちらも一理ありますね。しかし、意味が違います。

老子は、この章で「形あるモノの背景にある、形のないモノの働き」を言っているのだと思います。

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