こんにちは! 超せまっ!ワンルーム2人暮らしのまさすみ(夫)です。

前回は老子第16章を紹介しました。↓

シリーズ老子16章:心をただ静かにすれば、悩みや怒りはやがて消えていく

今回は、第17章。

この章では君主と民の関係を通して組織の在り方を教えてくれます。
民が平和に暮らしている国では君主はどのような存在なのでしょう。
今の時代の組織にも当てはまります。

あなたにとってどんなトップが理想的ですか?

それでは、ご覧ください。

老子 第17章の原文

大上下知有之。其次親而譽之。其次畏之。其次侮之。
信不足焉、有不信焉。
悠兮其貴言、功成事遂、百姓皆謂我自然。

17章の訳・私の解釈

最高の君主というのは、民がその存在を知っているだけの状態である。
その次に良い君主は、民が親しみ、褒め称える状態。
その次は、民が君主を恐れている状態。
その次は、民が君主をバカにしている状態。

信頼が足りなければ信用されない。
最高の君主は悠然として言葉少なく、事が成し遂げられた時には、
民が「自分たちの頑張りのおかげ」と口にする。

解説・私の思うこと

「大上下知有之。其次親而譽之。其次畏之。其次侮之。」

訳:最高の君主というのは、民がその存在を知っているだけの状態である。
その次に良い君主は、民が親しみ、褒め称える状態。
その次は、民が君主を恐れている状態。
その次は、民が君主をバカにしている状態。

「君主の存在を知っているだけの状態」は極端な表現ですが、民が本当に平和に生活している状態というのは君主のことを考えることもないということです。

平穏な生活が日常的になっており、足りないことも多くを求めることもないニュートラルな状態です。
老子はこういう状態こそが最高の政治だと言っています。

褒め称えられている状態は悪くないがそれではまだまだで、空気のような存在がベストなわけです。
これはタオの性質と同じです。
何かの役に立っていても、そのこと自体を誰にも気付かれていない状態、これが最高の無為、奉仕です。

さて、私たちの国の状態は老子の言う4つの状態のどれに当てはまるでしょうか?

とある国では3番目の恐怖政治をしています。
日本は4番目な気がします。
ある意味4番目は平和であるからこそではありますが、老子に言わせると一番下ということになります。

「信不足焉、有不信焉。」

訳:信頼が足りなければ信用されない。

信頼されていれば失敗や何か問題が起こっても「そういうこともあるよ」と民は理解し応援します。
場合によっては「私も手伝います」という人も出てきそうです。

「悠兮其貴言、功成事遂、百姓皆謂我自然。」

訳:最高の君主は悠然として言葉少なく、事を成し遂げられた時には、
民が「自分たちの頑張りのおかげ」と口にする。

このような状態こそが国や組織がうまくいっている証拠です。
経営者がこのような人物であれば部下はどんなに幸せなことでしょう。

でも、実際はそうでないことも多いですね。
むしろ、冒頭の句の「君主をバカにしている」状態もよく見かけます。
それはその後の句の「信頼されていない」からですね。

私自身も経営者という立場で社員やアルバイトさんがいますが、どう思われているか不安があります。
以前はよく口を出していましたが老子を読んでからは口出しも最小限にしてあまり姿も見せません。

それで良い事ばかりではありませんし、陰で何言われているかは分かりませんが(汗)、今はこれでいいかなと感じます。
経営者は起こりそうな問題を予測し、問題が起きた時にフォローが仕事で、成果が出た時には最前線で働いている人たちの達成感や手柄になればいいわけです。

ただ、これが機能するには組織が大きすぎては難しくなります。
老子80章「小国寡民」にこのことが書かれています。

ここでは簡単に訳だけをご紹介します。

↓↓
住むなら小さな国で人が少ないほうがいい。

便利な道具はあってもなるべく使わない。
みんな命の価値を知ってるから遠出はしない。

船や車があってもなるべく使わない。
武器はあるけどなるべく使わない。

複雑な取引はせず縄の結び目でやり取りするくらいがいい。

食べ物はあるもので十分おいしい。
洋服も今あるもので十分美しい。

みんなが安心して暮らしていてそんな日々を愉しんでいる。
他国の生活も知ってるけど別に行く必要はない。
↑↑

確かにこのような生活なら君主に何か頼ることもないですね。
「王様いたけど、誰だっけ?」くらいの状態が国民が幸せに暮らしている証なのですね。

あとがき

いかがでしょうか?

老子17章は分かりやすい内容でした。

君主への皮肉と戒めを通しての教えです。
ぜひ、今の指導者たちに読んでもらいたい。

ただ、私自身そう思うということは、私は政治に不満があるのですね。
ここでまた大事なのは「自分自身のあり方」です。
世界の悲惨さを見て嘆き、何かと比べて不満を感じ、不正を見て憤る。

前回紹介した老子16章では、こういう時こそ「心を空っぽ」にして、それが消えていくのを待つ。
老子道徳経は「弱者」の教えと言われることがあります。
なにも解決しないし現実逃避に感じますが、全てを受け入れる「強さ」ということでもあります。

ご覧頂きまして、ありがとうございました!

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